私が嵐にハマったのは2006〜2007年頃。
それまではテレビドラマ、中日ドラゴンズ、りぼんの少女漫画、ナルミヤのお洋服、
ハナチューやPopteenなどのファッション誌が好きな中学生だった。
中日ドラゴンズに関しては毎日試合をチェックしていた。
当時の打順や応援歌、選手の経歴などはいまだに覚えている。
そのころからオタクの気質はあったのかもしれない。
元々母がエンタメ好きだったので
車内では最新曲が流れ、
Mステ、うたばん、HEY!HEY!HEY!などの歌番組は毎週見ていた。
そこから何がきっかけかははっきりとは覚えていないのだが
嵐の曲を聴くようになり、
PVを見たいからCS放送のスペースシャワーを録画し、
嵐の宿題くんを毎週見て、ドル誌を買うようになった。
特にWink upは可愛らしいスタイリングと
伝言板のコーナーと
ラジオ収録の白黒記事がお気に入りだった。
Myojoは付録の歌詞が載ってる本を活用してたなー。
部活のチームメイトにもジャニーズ好きがいたので
ジャニ部というグループを組み(笑)CDを貸しあった。
その結果、V6、NEWS、エイト、KAT-TUNにも詳しくなる。
学校に嵐のファンがいなくて感想を言い合うことができず寂しかった。
この頃は今みたいにradikoやTVerがなかったので、
嵐のメンバーのラジオは東海地方では聴けず。
関東ローカルの地上波の番組も視聴出来ず。
そうそう。
東海地方は報ステのあとに探偵ナイトスクープが放送されていて、
関東よりも金曜ナイトドラマの放送時間が遅かったんだよね。
眠気に耐えながら歌おにを見たなー。
ドラマの番宣で出演していた王様のブランチも見れなかったなー。
東京に住みたいと思い始める。
母も同時期に嵐にハマり、
確か2007年の9月頃だっただろうか。
Timeドーム凱旋の京セラドーム公演に行こうとしたが
すでに申し込みは終了で行けず。
その後。
母がTimeのDVDを購入してくれて擦り切れるほど鑑賞。
CDも歌詞カードを見て網羅。
さすが若き中学生の脳、ラップ詞は秒で覚えられた。
母が自分の名前でFCに入るのは恥ずかしいから
という理由で
気がついたら(勝手に)私の名前でFCに加入しており
念願の初コンサートがDream ”A" Liveのナゴヤドーム初日だった。
その日の天気は雨が降りそうな曇りだった。
グッズは並ばずに購入できた。
ドーム前ジャスコで修学旅行用の洋服を買ってもらってから会場入りした。
中日の試合で月1で訪れていたナゴヤドームに
嵐のコンサートで行けるのが不思議だった。
席はアリーナBブロック。通路横。
Move your Bodyでポップアップで登場。
ザ・ジャニーズな演出に高まったことを覚えている。
ハダシの未来で相葉くんが目の前で踊っていた。
MCでは、嵐ナゴヤドーム初公演ということで、
ナゴヤドームに来たことがある人ー?と聞かれた。もちろん手を挙げた。
にのが「ここで山本昌(当時の中日の選手)が投げてるのかー!」と言ってた記憶。
アリを育てるキット?の話をしていたな。
ちなみに当時の銀テは何も印字されていなかったが
たくさん持って帰った。今も実家にあるはず(笑)
初めてのジャニーズのコンサート。
初めての生の嵐。
雷に打たれたような衝撃を受け、
余韻に浸りすぎて、コンサートから1週間後の定期テストでは過去最低の順位を記録しました。ダメすぎ。
2008年6月中旬。東京へ修学旅行。
テレビ局の生放送の収録を見学させてもらう。ここで働きたいと思う。
ちなみに今だから言えるが、
その局を歩いていたところ某大手芸能事務所の方からオーディションを受けないかと声をかけられ名前を控えられた。
その場に居合わせた友達は大騒ぎ。
家に持ち帰って受け取った資料と共に母に報告したら
「受ければ?」との回答。
しかし芸能界には怖いイメージがあったのと、
不安定すぎる職業であること。
そして特別美少女でもないし、
自慢できる特技もない自分が
厳しい世界で生き残れる自信がなかった。
…と、浮かれることなくちゃんと自己分析が出来ており(笑)、
結局オーディションは受けなかった。
のちのちに分かったことだが、
そのオーディションでグランプリを取った子がなんと嵐の某メンバー主演ドラマにまあまあなポジションで出演していたのだ。
自分がグランプリを受賞出来ていたかどうかは置いといて、
受けなかったことを悔やむ。
その翌週だっただろうか。
嵐の初国立公演の案内のハガキが届く。
もちろんめちゃくちゃ行きたい。
中学3年生の私。お金ない。
自力で愛知から東京まで行けるわけがない。
ましてや受験生。
母からは国立に行く条件として、
とにかく順位を上げろ、模試でC判定レベルの高校をA判定にしろと言われる。
その条件をクリアするために夏休みは自分史上1番勉強した。
24時間テレビのパーソナリティは嵐だった。
勉強している姿勢が大事だと思ったので(笑)
嵐が出てきたら教えて!と母に伝えて
それまで自室にこもって机に向かった。
早起きしてにののマジック天気予報みたいなコーナーは見たな。あとは録画視聴。
2008年9月6日。
夏の努力の結果もあり成績は向上。
母から国立行きを許される。2人で行った。
初めての遠征。
新宿駅西口に降り立ったときのコインロッカーと人の多さに驚く。
到着が遅かったからか、
にののうちわが売り切れで買えなかった。
オンラインショッピングが主流な時代ではなかったのに
なぜかグッズの通販があり、後日購入できた。
席はわりと聖火台に近いスタンド席。
ネタバレを見ず行ったので演出に驚く。
ラブソーで登場が多幸感あった。
アンコールの五里夢中で雨が降ってきた。
偶然カバンの中に入っていた
BLUE MOON BLUEのビニールの口が絞れるショプバ(懐かしい)に
うちわなど紙製の物を入れて保護。
ゲリラ豪雨に打たれながらホテルに戻る。
翌日は初めて竹下通りに行った。
いつも雑誌で見ていたパリスキッズや大中で
アクセサリーや雑貨を購入出来て嬉しかった。
原宿のジャニショにも初めて行った。
新宿伊勢丹のデパ地下でジェラートを食べて
東京にはこんなに美味しいものがあるのか!と感動した。純粋な中学生。
とにかく東京に行けば自分のしたいことが全部叶うと思った。
なるべく偏差値の高い高校へ行き、東京の大学に行くしかない!と思った。
その翌週。運動会。
実行委員だった私。
クラスのダンスナンバーで当時の最新曲、truthを選曲。
ダンプラ動画などはない時代。
PVと録画した歌番組を何度も見て、
ダンスを習っていた同級生に振り起こししてもらう。
サビだけだったとはいえ結構難しいのに
クラスのみんなは踊ってくれた…
私の趣味にお付き合い頂きありがとう…
その時の秋頃に開催された嵐のアジアツアーは行けず。
当時の私たちには海外はハードルが高かった。
大人になった今では台北とソウルと上海は近いじゃんと思ってしまうが。
10月クールはドラマ流星の絆。
毎週の生きがい。
Beautiful daysのシークレットトークも楽しかった。
コムタンスープは地元の焼肉屋さんにはなくて
どんなものかわからず。憧れる。
2009年3月。
中学卒業、そして高校受験。
ヤッターマン公開。
Believeを聴きながら受験会場へ向かう。
晴れて志望校に合格した。
だがしかしそれがそのあとの3年間苦しむことにもなる。
続く

